居候、そして食客として。

久しぶりこちらに投稿の青山ゆみこです。
ここんところ、
こっち→いや、ほんのちょっとだけ。/ウェブリブログ
更新しているのもあり、
中ぐらいの迫力の大迫力くんが、
140Bブログをさくさくと更新しているのもあり、
足ならぬ手が遠のいていたのかもしれません。


全く知らないなにかを読むのは、なによりも楽しいけれど、
自分が見ているものを、違う視点で捉えた文章を読むのもまた、
何とも言えない面白みがあるものです。
140Bや編集現場の現状を、
大迫くんはそんな風に見ているんだーと、
わたしも、このブログを他人事に読んでいる訳です。


他人事ってけっこう大事なことだと思います。



私はいま、140Bに居候を決め込んでいるわけですが、
そういう立場にいると、
140Bの仕事が自分事であり他人事でもある。
自分事になりすぎると見えないことも見えるし、
完全に他人事ではつまらないときには、勝手にすりすりと寄っていける。
なんて気楽な稼業ときたもんだ。と、思います。



わたしの中で、理想の居候像というのがありまして、
それは中国の食客です。
ええご主人ちに住み込んで衣食住をあてがってもらいながらも、
主人から敬意を表される。
まあ、日常ではちょこちょこっと用事なんかも手伝うのですが、
たいして役に立つわけではない。
食客に日々の見返りを求めるのは、
主人の器が小さい証明になってしまう。
一見、無用に思えても、主人は食客を大事にしなければならない。
そのことが主人の評判を上げる。
だから、戦国時代の中国では、食客の数は
その国や人を判断するひとつの目安にもなったということです。



が、しかし、ひとたびお家の大事ともなれば
主人のために身を尽くす。
死ねと言われれば、死なねばならない。
それもまた、食客の度量なのです。



わたしは、普段はのらりくらりと140Bで役に立ってんだかどうだか、
という居候なのに、
偉そうに口を出してみたり、恩恵にあやかったりしています。
が、ひとたび140Bに事が起これば、身を挺する覚悟な訳です。


ま、だいたい、そんな危機的状況が訪れるのか、
というのはいささか疑問で不明でありますが。


なんでも心構えというものが大事なのだと思います。
そして、理想。
年間売り上げごにょごよ、とかそういうのではない理想。
芦屋に家買って庭にアフガンハウンドのセニョールくんを放し飼いにする、
というのではない理想。


「140Bの立派な食客になる」という理想のように、
やや意味不明で、それってどうだか、というようなビミョーな理想が
140Bの会社としての器を大きくするように、わたしは考えています。


いや、本当は今思いついたのですが。



さてはて、「世界レベルの大阪のええもん」というムックが
ただいまチキンレース、ではなくて最終レースを迎えています。
青山もちょこちょことお手伝いしています。
はっきり言いますが、「むっちゃオモロイ」です。
大阪らしい、愉快で痛快でどないやねん、というノリが
溢れんばかりに思っていたら溢れてみんな困っているという状況です。


ミーツ時代になんで作らなかったんだろうと思う、
深く味わい深い、大阪へのラブレター。
ところどころにプロジェクトXあり、演歌の花道あり、新喜劇あり。
神戸生まれの神戸育ちのよそ者としては、
大阪生まれの大阪育ちが羨ましくなりました。



そんなこんなで大迫力はじめ、
なんでもやりまっせの中島社長、唯一の綺麗どころ道田嬢などがフル回転。
執筆陣のひとり松本創さんも最終コーナーを曲がりました。
松本さんの原稿がまたいい。
高い取材力と文章力と心の震えが行間からにじんで、
校正をしながら、何度も泣けてすらきました。


というか、わたしもそろそろ取材に出て、帰社してお手伝い。


なんだが、だらだらと失礼しました。
のらりくらりとした感じがまた、食客っぽいでしょ。
イメージ。
そうしてイメージすることがやっぱり何事にも大事なことだと思います。


どうだかこうだか。



食客関連で面白い本です。

食客風雲録―中国篇

食客風雲録―中国篇

中国任侠伝 (徳間文庫)

中国任侠伝 (徳間文庫)

新選組血風録 (中公文庫)

新選組血風録 (中公文庫)