峠を越える

こんばんは、大迫力と書いておおさこちからでございます。


キョースマ夏号が終わったかと思いきや、
いっきにギアを入れ替えて制作を進めていた『世界レベルの大阪ええもん』も、
ようやく峠を越えて、ふう〜と一息というところです。
あとは今週末からの色校正を返せば、2週間ほどで発売です。
昨日も青山ゆみこが書いてくれていましたが、面白いです、ほんま。
ライターさんから原稿をもらうたびに、へえ〜とかそうやったんや〜とか言いながら、
今まで大阪のことあんまり知らんかったやなあと感じさせられました。


唯一、心配だった表紙も、できあがったのですが、これが、良い。
「一見シュッとはしてるけどお喋り好きでハデな大阪の小マダム」という感じで、
『京都を買って帰りましょう』が品の良い女子だとすれば、
似てるような気もするけどやっぱり似ていない叔母さんといったあたり。
最後までどないしよこないしよと考えていたのですが、
結局はデザイナーの津村さんが「いや、ちょっと考えてるのがあるんで…」と、
作ってもらったのが「そうそう、コレコレ」と一目惚れするステキなデザインで、
我が意を得たり! と一瞬にして決まったのでありました。


デザイン出しというのは編集作業のうちの5合目くらいの作業なんですが、
これがなかなか複雑な心理を伴う工程なのであります。
デザイナーさんには、もちろんこちらから「ここはこうで、こんな風に」と、
落書きのようなラフスケッチを書いてお願いするのですが、
上がってきたときにガッツポーズが出るのは、「そうきたか!」となる時です。
つまり、自分の考えたものとは異なるものをもらった場合、ということです。


これは明らかにヘンですね。自分でこうして欲しいとお願いしておきながら、
そうではなかった場合の方が嬉しくなる。
むしろ、それを望んでいるような心境ですらある。
そして、自分が書いたラフとは明らかに異なるデザインを、
「こういうイメージやってん」と、あたかも最初から思っていたように錯覚する。
うまくいく時というのは、だいたいこんな感じになるのです。


面白いのは、ラフと違うから良いのではなく、
考えていたのとは違うものを「最初から欲していたもの」と錯覚するというところです。
つまり、「過去」における自分が変わっているわけです。
で、ここから何か有用な提言ができるかと言えばそうでもなくて、
面白いでしょ? という話なのでした。すみません。
なんとなく「前未来形として語られる過去」@ラカンとか、
「欲しいものは他人に差し出すことでしか手に入らない」@レヴィ=ストロースとか、
そんなあたりに通じている気がしているのですが、僕のアタマでは無理です。


まあとにかく、津村さんには感謝してもしきれない、ということと、
みなさん、どうぞお楽しみに! ということなのです。


↑先日、その津村さんとお昼をご一緒した時に食べた、
[武蔵野]の夏野菜カレーそば。あんまり旨かったので、
ふだんはしない写メールを撮ってみました。
靱公園のちょい西北あたりです。