「おとな」なブログ。

午後6時、神戸ウイングスタジアムでキックオフの
神戸製鋼スティーラーズvsクボタスピアーズに向けて
昨日より、必死のパッチで自宅で原稿を書いている
腱鞘炎一歩手前の青山ゆみこです。


とはいえ、この腱鞘炎、原稿の量というよりは
相も変わらずブラインドタッチもできず
自己流の中指・人差し指2本打法たまに親指でスペースキー…
というところに敗因がありそうです。


という話はどうでもよくて(じゃあ書くなよ)、
多くの人がそうであるように、
活字好きの「本読み」体質であるからして、
それがネットに移行してからは「ブログ読み」体質にもなった。


そんな「ブログ読み」として、
毎日必ず更新をチェックするいくつかのブログがある。

私はそれを心の中で「パトロールいってきまーす」と言っているんだけど、
いつもの立ち寄りポイントに加え、
トロールの範囲を広げたくなる日もあり、
ダーツの旅の気分でグーグル検索をかけて、行き先を決める。
最近では、「街的・江弘毅」というのもその検索例で、
それをきっかけに昨日出合ったこのブログは、
青山のルーティンパトロールポイントに大至急追加させていただいた。


『晴れの日、オーガニック日和』
http://masaqui.exblog.jp/
江の『「街的」ということ』の関連は9月7日前後の記事です。


私もブログを書いているのでわかるのですが、
ときどき、イライラっとして怒っちゃったりモノ投げたり(表現的に)、
そういうことしちゃうことがあって、
書く側としてはスッキリすることもあるんだけど、
その分、読み手に荷物を押しつけるようなことをしてるときもある。



わざとやるときもあるし(問題定義としてだったり)、
それが全面的に悪いことなわけじゃないけれど、
わかってやるとのそうでないのとでは
「こども」と「おとな」の違いがあるし、
ちゃんと読み手にそれが伝わるような気がする。



何かに腹を立てたり居心地の悪さを感じたりしたとき、
それをいったん、自分に引きよせるというか、
その原因みたいなものに、
何らかの形で自分がそこに含まれているということを認識する、
あるいは、そういうことがありえると想像する、
ということをできる人の文章は、
ときに読み手にはハードコアパンクだけれど、
それでも、気持ちよく、そしてそこに何かの希望があるように感じられる。



140B参与の平川克美さんの
『カフェ・ヒラカワ店主軽薄』http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/
もそうだし、
masaquiさんが書かれている『晴れの日、オーガニック日和』にも
同じような印象をお受けしたのでした。