書くことはお歳暮選びと見つけたり?

こんばんは、大迫力ことおおさこちからです。
先週の(と、書こうとして変換したら「泉州の」に…140Bの性格が伺い知れます)土曜は、
MJこと、松本創も出演していた「水道筋ミュージックストリート」へ。
小バコ店を回りながら、目の前でライブが行われる様子を肴に飲みつつ唄いつつ…
なかなか良いものでした。尼崎でもぜひやりたいですよね(誰に言ってるんだ?)
マッキーとか来てくれへんかな(註/「尼崎の空に唄えば」という曲を出してはります)。
盛り上がりの様子は→http://www.nadatama.com/modules/wordpress/index.php/archives/2006/11/12/sms/


さて、ここのところ(かなり)遅めの新書強化月間ということで、
どっさり大人買いして読みふけっております。
新書ってほんとにすぐ読めますね(悪い意味ではなく)。流行るのも分かる気がします。
小田嶋隆さんの『テレビ標本箱』に『憲法9条世界遺産に』、
はたまた『落語「通」入門』に『水族館狂時代』と、脈絡の無さは相変わらずです。
中でもいろいろと勉強になったのは永江朗さんの『インタビュー術!』。
最近、ほんとうに多岐にわたる仕事をするようになり、
中でもインタビュー取材が格段に増えたこともあり、唸ることしばしばでした。
インタビュー術! (講談社現代新書)


文章というのは、当たり前の話ですが、発表される媒体によって大きく異なります。
どんな文体なのか、あるいは、取材したうちのどのエピソードを原稿として選ぶのか。
違うだろうとは思っていたのですが、ここまで違うのか、という感じです。
例えば、僕は今、同志社大学の学内広報誌の取材・執筆もしているのですが、
それはもう、店取材の原稿とは月とM78星雲くらい離れています。
もちろん店取材の原稿の文体も、媒体によって違います。
その差はとてもトリビアルな時もあって、
内容は全くオッケーなんだけれども、息づかいというか、言い回しというか、
細かい句読点の打ち方とかにも媒体ごとに好みがあり、
そのへんが面白くも難しいところです。
自分では充分に気をつけているはずなのに、他の人が見ると、
やっぱりちょっと違うというところがあるわけです。


ありがたいことにいろいろな媒体で書かせてもらっていると、
同時期に全く方向性の違う媒体の原稿を書くということがよくあります。
『インタビュー術!』の中にも、文章は発表される媒体や読者などによって、
まったく違うものになるという旨の箇所が多々ありました。
まさにそういう機会に直面していて、
個人的な感覚で言えば、媒体によって書いている自分の性格も変わっている気がします。
(どの媒体がどんな性格なんや、というのはさておき)
だから、なかなか相手の意図や文体の好みを汲み取りきれなかったり、悩むところも多々あるわけですが、
それはそれで、書き分けられるようになれれば楽しいだろうとも思っています。
というか、そのへんの頭や身体の使い分けがちょっと快感になってきました。
「この人はきっとこんなのが好きだろう」と、デパートでお歳暮でも選ぶような感じか、
と書こうとして、江弘毅や青山ゆみこに、
原稿は「贈り物」であるとよく言われたことを思い出しました。
なるほど。