手足をバタつかせること

こんばんは。ずいぶんと陽が長くなりましたね。
140Bのダイハクリョクことおおさこちからです。


一段落ついでに、週末は名古屋へ行ってきました。
味噌カツを食べ、大須をぶらぶらし、名古屋弁三河弁?)の聞こえる居酒屋に寄り、手羽先を食べ、
でもって豊田市美術館に足を伸ばしてみたり、ひつまぶしを食べてみたり…とてもミーハーな観光です。
とはいえ、かなり羽を伸ばすことができました。
帰りは新幹線でしたが、行きは近鉄。難波から2時間半というのは近すぎず遠すぎず良い感じです。
旅のお供は斎藤美奈子さんの『それってどうなの主義』。まとまって本を読む時間がしばらくなかったので、
久しぶりにどっぷり1冊の本を読みましたが、面白すぎました。

それってどうなの主義

それってどうなの主義


そんなお気楽な週末を過ごしている間に、なんと『京都に住まえば』の見本刷りが上がってきました。
構想半年。いや、もっとかな? ようやく出るな〜というのが正直なところです。
パラパラと眺めてみると、自分で言うのもナンですが、これがなかなか変わっております。


一冊の本の立ち上げからラフ提案・企画・編集・取材・原稿書き・校正までずっと並走したのはこれが初めて、
月刊誌のスピード感のある進行とは異なる長丁場の作業の至る所で、立ち止まって考えることになりました。
実はこのキョースマですが、最初の最初の企画段階からは、ノリや考え方がけっこう変わってきています。
製作期間がかなり長かったため、本の中でも最初に作ったページと最後の方を比べると、
後半の方がややスピードアップすると言うか、畳み掛けると言うか、テンポが上がってくると言うか。


これはたぶん、立ち上げの際に僕たち140Bが思っていた「キョースマらしさ」が、
進行するに連れ、徐々に変わってきた(というより具体的になったということかな)からなのでしょう。
現場の製作チームである140Bは、版元の淡交社さんと話し合いつつ、
「こんな感じじゃないだろうか?」とおそるおそるラフを作ったり、企画を出したりします。
で、何回も話したり提案をしたりしているうちに、「あ、ひょっとするとこういうのが良いのかも」、
「ていうか、こうした方が良いですよ。きっと、うん」みたいな感じで、どんどんと進み出していく。
「キョースマ的」なるものが体感として理解できてくる、とでも言いましょうか。
そして、後から辿って来た道を振り返ると、最初向かっていた方向とはこれがけっこう別の方向へ来ていたりしました。


おいおい、ちゃんとコースを見定めてから走れよって?
うーん、確かにそうかもしれません。けれど、言い訳みたいになりますが、
雑誌のカラー(?)とかって作りながら少しずつ身体で覚えていくものなんじゃないでしょうか。


ボスである江弘毅はよく「誌面には自分が手足をバタつかせて考えた足跡しか残らへん」という言い方をします。
それに従えば、このキョースマが描いたカーブは、「キョースマらしさ」が時間の中で変わっていった軌跡であるわけです。
(雑誌を見てもらったら、そのことが分かってしまうかもしれません)
僕にとっては、おおカーブしていくことになったとはいえ、その道を走り抜けることができたのはたいへん大きな経験です。
たぶん次はもっと直線的に「こっちの方へ走ろう」というのが分かるはずです。
書店での反応や、キャンペーンでどんな人がどんなふうに買っていくのかを見て、また変わっていくんでしょうけれど。
あ、もうひとつボスの言葉を思い出しました。
「雑誌ちゅうのは運動体でないとあかん」
ふむふむ。