「書く人」の考えること

こんにちは。連休はいかがでしたか?
140Bの大迫力と書いて、おおさこちからでございます。


なかなか最近、更新がままなっておりません。
忙しいのかとか問われれば、まあそれなりにと答えるわけなのですが、
とはいえブログを書く時間が全くないかと言われれば、
それもまた、いやそれほどでも…と恐縮してしまいます。


先日、のぞみの藤田社長と話していて、
「よう書いてるな〜」(http://blog.kansai.com/takahiro+kdc_category+0
というブログ談義を少ししていました。
藤田くん曰く「毎日書いてたら、慣れてくるで。
メモでも書くように書くねん」とのこと。
ふーむ。メモ、か。


話しは飛ぶけれど、世の中には「書く人」というカテゴリーが存在すると思う。
それはたくさん書くとか、そういう量的な話しではなくて、
書かずにはいられないというか、書いてしまうというか、
自分にとって「書くこと」は当たり前だと思っている、というような感じです。
以前、文学誌の『文學界』新人賞を受賞された方にインタビューをしましたが、
半ば個人的な質問のように、「書くこと」に対しての姿勢のようなことを聞いてみると、
「なんていうか、自然に。自分は書くものだと思っていた」という返答だった。
その「なんでそんなことを聞かれるのか分からない」という顔に、
ああこの人は「書く人」なんだなあ、と感じたものです。


たとえば、140B 大迫で言うならば、青山ゆみこは「書く人」で、
江弘毅や僕は「書く人」ではないように思います。
もちろん江弘毅は連載をたくさん抱えている(最近また増えました!)、
バリバリの「書き手」ではあるわけですが、
それは何らかの要請があって、日頃の思索をアウトプットするという印象。
逆に(かどうかは分かりませんが)青山ゆみこのブログなどを見ていると、
http://yummyao.at.webry.info/
書きながら考えているというか、書くことで考えているというか、
アウトプットなんだけどインプットのようで…。


あくまで僕の印象ですが、藤田くんもそうだし、
思考するラガー・平尾さんも「書く人」ではないかと思っています。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/canvas/index.html
みなさんの書いていること・考えていることを読んでいると、
ためらいがなく、とてもダイナミックで、
うーんちょっと真似はできないなと感じてしまうんですよね。
同じ文章でもなんだか違うもののような気がします。


だからって、ブログを更新できていなことにはつながらんわけですが、
ブログという気分・気質に左右される、
文章を主役とするメディアを前にして、
「書く」ということに対して、そんなことを思う今日この頃です。
すみません、まとまりなくって。